Magic in the air

忘備録

BLEACHポエム考察

かの有名なBLEACHポエムについて真面目に考えてみた……というか、関連するものを切って貼ってスクラップにしたものです。先生がそこまで深く考えているか考えていないか、「作者そこまで考えてないと思うよ」だとは思いますが、まぁそこをマントルまで掘り進めて考えて酒を飲んでしまうサガがオタクなのかな……。
そして私の個人的な考え・強引な妄想ですので、参考にはならないかと思いますが、ぜひ貴方の考察に活用してください。

現在17巻・23巻・27巻・43巻・55巻・57巻。増えていくと良いな。
以下、続きからです。

17巻
「血のように赤く 骨のように白く 孤独のように赤く 沈黙のように白く 獣の神経のように赤く 神の心臓のように白く 溶け出る憎悪のように赤く 凍てつく傷歎のように白く 夜を食む影のように赤く 月を射抜く吐息のように 白く輝き 赤く散る」

巻タイトル「ROSA RUBICCUNDIOR, LILIO CANDIDIOR」はオルフ作カルミナ・ブラーナ20番「Veni, veni, venias」から来ているそうで、作中としては「バラより赤い唇、ユリより白い頬」という意味だそうです。
この詩で幾度も繰り返される「赤」と「白」の解釈は難しい、というか、どのようにも取れる気がするんですよね。なので、この解釈もちょっとこじつけ気味に思えるので、その程度ね~ぐらいに留めていただければ嬉しいです。

赤と白
常に体中を駆け巡っている血と、常に体の中で静かに留まる骨。孤独と沈黙は同じものですが、孤独は感情、沈黙は肉体の状態。獣のように熱いもの、神のように冷たいもの。「動と静」「感情と理性」「温と冷」など、赤と白のイメージがもたらすものは何でも正解になりそうな詩。
そこからもう少しBLEACHらしく考えてみると、赤は「人間としての在り方」、白は「死神としての在り方」を示しているのもしれません。赤と白といえば、そうです、恋次白哉です!!17巻では、人間らしく友を助けに向かう恋次と死神らしく掟を守る白哉が一戦交えた回がありました(物凄くこじつけ感が強いポイントです)
死神として冷徹にあり続け、しかし人間として友を救い出した夜一らしいポエム……、いえ夜一に相応しいポエムかなと思います。

夜を食む影は夜明けのことかなあ。月を射抜く吐息っていうのが難しいな、月を斜めに横切る流星だと思うんだけど。この2つはもう少し考えを保留にしておきます。


23巻
「俺たちは滝の中の魚 俺たちは籠の中の虫 俺たちは波濤の残骸 髑髏の錫杖 力の奔流 それを呑む鯨 俺たちは五本角の雄牛 俺たちは火を吹く怪物 泣き叫ぶ子供 ああ 俺たちは 月光に毒されている」

滝壺の複雑な流れに捕らわれている魚や、籠に捕らわれている虫などは無力なものの表現。そこから段々と強くなり怪物まで到達したのにも関わらず、最後は泣き叫ぶ子供という無力なものへと回帰していますね。おそらくどれだけ強くなっても月光の前では無力に等しいという意味ではないかなぁ。

髑髏の錫杖
錫杖はお坊さんや山伏が持っている杖的なもの。遊環という輪がたくさんついてて、動かすと音が鳴る仕組みの奴ですね。調べてみると結構装飾に優れているものが多いので、この場合は遊環が通る中央の部分に髑髏の装飾がある…というイメージでしょう。錫杖は武器として使用されたこともあるそうです。一角の斬魄刀も長物ですね。だから「武器のように力を持つ者」という意味かな。
ところで九条錫杖というお経には「當願衆生 十方一切 邪魔外道 魍魎鬼神 毒獣毒龍 毒蟲之類 聞錫杖聲 催伏毒害 発菩提心 具修万行 速證菩提」という一節があります。「ありとあらゆる悪魔・外道・化物・鬼神・毒のある獣・毒のある龍・毒のある虫なども錫杖の音を聞き、毒の害から伏せ菩提心を起こし、行を修めて速やかに悟れ」という意味だそうです。だから何だと思われるかもしれませんしその通りなんですが、この詩と少し似ている気がするので掲載。

月光
月はラテン語でルナ。英語でルナ、ルナティック、ルナシーは「狂気」を意味する単語です。ギリシャ語では月のことをセレネと呼び、セレネを語源としたセレニアコスという言葉は同じく「精神異常」という意味になります。英語のムーンでいうと、ムーンストラックは「気の触れた」という意味になり、ムーニーやムーンオーバーなどは「夢見心地、ぼんやりしている」などを示すようです。中世ヨーロッパでは月の光を浴びると気が狂うと言われていました。上記の詩の一節「月光に毒されている」というのは「狂っている」という意味で使われていると思います。
では光を放出している月は何を示すかというと、更木剣八のことかなぁ、と予想。更木剣八=戦いみたいなもんなので、戦いでも全く同じ意味にはなると思いますが。更木剣八の圧倒的な強さに毒されている。一角さんは特に「更木剣八のもとで戦い、更木剣八のもとで死ぬ」という思いが強く、更木剣八に影響を受けているキャラクターです。
流魂街の下の地区で生まれた無力な子供(すいません妄想ですね。斑目一族の設定はあるようですが、血の繋がりは分からないし)が、力を得て死神となり、そして戦闘部隊十一番隊の三席へ。どんどんと強さを得ても、しかし剣八の名の下では誰もが無力な存在に過ぎない……。という詩でしょうか。

わたくしごと:私は十一番隊贔屓なので冷静ではいられません。私も月光に毒されていると思います。


27巻
「私達 一つとして 混ざりあうものはない 二つとして 同じ貌をしていない 三つ目の 瞳を持たぬばかりに 四つ目の 方角に希望はない 五つ目は 心臓の場所にある」

2つ目の市丸と並んで、最難関ポエムの印象があるなあ。
特に「五つ目」で躓きまして。3つめの、4つめの、と来ていきなり5つめが主語なので見事に置いて行かれました。世界のスピードについていけませんでした。
なので何度も解釈を更新するかと思いますが、頑張っていきましょう。

三つ目
「超越した能力がないがゆえに周囲に希望が見つからない」という行。
ヒンドゥー教シヴァ神などは3つの目を持ちますが、3つの目は神秘的・超絶的な能力の所有を示すモチーフです。
そして脳の松果体という部分が実際に「第三の目」と呼ばれていて、デカルト松果体のことを「魂の在り処、魂の座」と呼びました。普段眠っている松果体を覚醒させるとテレパシーなど超能力を使えるようになると言われています。なんでも「霊力が上がる」とか。マジすか。

五つ目
これは「四つ目の方角に希望がない」からの続きで「五つ目の方角に希望がある」ということですね。
方角を線で示すと十字になり、縦線横線が交わる点が「五つ目」でしょう。自分が立っている位置を示しますし、心臓の場所と書かれているので、「希望の在り処は心である」という意味になると思います。

ところで5という数字は巻タイトルと同じタイトルの回(グッバイ・ハルシオンデイズ)で、「人生が5回くらいあったら」という台詞で出てきています。
「あ~あ人生が5回くらいあったらいいのになあ そしたらあたし5回とも違う街で生まれて 5回とも違うものをお腹いっぱい食べて 5回とも違う仕事をして それで5回とも同じ人を好きになる」
この台詞と上記の詩はとても似ているんですよね。数字の出る回数が両方とも5回。「違う」や「ない」などの否定的な文が続き、5文目で「同じ」や「ある」という肯定的な意味の文になる。
この台詞を単行本にする際に見直してポエムを考えたのかな?


43巻
「腐敗は我が友 夜は我が僕 鴉にこの身を啄ませながら 楡の館でお前を待つ」

楡の館
腐敗・夜・鴉、とどれも死や死体を想像させるものが続き、最後に「楡の館」が来ます。なので「楡の館=棺」かもしれない、と考えました。
「楡」で示すのは通常ニレ科ハルニレだそうですが、同じニレ科の中にケヤキがあります。ケヤキは樹齢1000年を超えるものもあるそうで、中々長命な木ですね。
英語ではエルムと言います。のびのびと枝葉を伸ばし、並木樹としても親しまれる木ですが、「エルム街の悪夢」の影響でしょうか、少しだけ鬱蒼とした気配を感じさせます。イギリスでは並木の他に教会に植えられることもあるそうです。
調べたところ、棺にも使われる場合はあるようですが、水道管や船など日頃から水に濡れる場所に多く用いられる材木だそうです。水に強い木なんですね。
楡の花言葉:高貴・尊厳・威厳・愛国心・感受性
楡とブドウは良縁の象徴(ヨーロッパ)・オルペウスが妻の死を楡の下で泣いたので悲しみの象徴(ギリシア神話)・北欧神話では楡から女性が生まれた(北欧神話)・「嘆くエルム・怒るオーク・歩くヤナギ」(ケルト民話)

お前を待つ
バラガンの過去から「お前=藍染」という意見をよく見かけます。私としても、もちろん藍染が入っていると思いますが、もっと広い意味の「お前=生きとし生けるもの全て」ではないかと考えました。
作中でも触れていますが、老いからは何ものも逃げられない。バラガン自身すら。生きている限り訪れる死の形「老い」を司るバラガンを象徴した詩だと思います。

わたくしごと:「お前を待つ」ポエムは2つあって、その片方。しかしめちゃくちゃカッコイイ詩だ。声に出して読みたい鰤ポエム。バラガンが出たときは強すぎて絶望したな~。


55巻
「一歩踏み出す 二度と戻れぬ 三千世界の 血の海へ」

「(血の海の世界へ)1歩踏み出し、(平和な今の世界には)2度と戻れない」のか、「(血の海へ)2度と戻れない」のか。
私の最初のイメージは前者。でも霊王を殺し争いばかりの世界を滅亡させて生死を失わせる、というユーハバッハの意思を考えると後者かなあ。綺麗な世界にするという意味か。
三千世界
「三千大千世界」という仏教用語の略語です。高杉晋作の都々逸「三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい」で有名な単語ですね。簡単に言ってしまうと全世界・全宇宙など「全部」を示す言葉で、この詩としても「現世も虚圏も尸魂界も血の海!」ぐらいの意味で使われていると思います。三千世界は三界と略されますし、BLEACHでも「現世・虚圏・尸魂界を合わせて三世という」という文がありました(成田氏の小説だったと思いますが、しっかり調べていないので違ったらすみません。また調べておきます)
そして仏教では、極楽、いわゆる天国とか楽園的なものは、三千世界の外側にあるとされています。血の海で溢れていない、苦しみのない極楽の世界へとユーハバッハは導こうとしていたんでしょうね。

わたくしごと:超かっこいい。一番好きな詩だなぁ。「一」歩「二」度と「三」千世界という単語選びが最高だし、リズム感も最高。声に出して読みたい鰤ポエム。


57巻
「散りて二度とは咲かずとも 炎のごとくに散るぞ美し」

咲きては散りぬ
「梅の花 咲きては散りなば桜花継て 咲くべくなりにてあらずや」(万葉集五巻)、「なでしこは 咲きて散りぬと人はいへど わが標めし野の花にあらめやも」(万葉集八巻)、「はかなさを ほかにもいはじ桜花 咲きては散りぬあはれ世の中」(新古今和歌集
と、咲いては散る和歌は結構多い。そして英語でも、雪の女王という童話に「Our roses bloom and fade away」(バラの花 咲きては散りぬ)」という賛美歌が出てきます。

炎のごとく
花のように儚く散らず、炎のように最後までしぶとく燃えて散ろう、という詩。
ところで花は散って枯れて土に還るんですが、炎は炭や灰を残していきますよね。炭は自然に還らず残ってしまうし。何か爪痕を残そうとする意思、ルキア恋次を置いて逝ってしまうという表現かなぁ。
朽木白哉斬魄刀「千本桜」は、無数の刃によって相手を切り刻む能力です。その刃が光を反射している様子が桜の散っていく姿に似ている、という雅な斬魄刀ですが、エス・ノトがやっていたように基本的にオーバーキルをすればミンチになると思うんですよ。でも原作中で千本桜を受けた相手って基本的に形が残っている。圧倒的な力量差がある岩鷲とか、エス・ノトにそれこそミンチ確定では…レベルにされた朽木白哉でさえも原型を留めていた。まぁそんなグロいのはさ……というメタ的な意味もあるかと思いますが、そんな千本桜の在り方も「残さない花、残す炎」という表現に当てはまりそうだなあと思いました。こじつけ感凄いな妄言って感じ

わたくしごと:先生は散らそうとしたけど人気キャラだから止められたのか、元々散る気はなかったのか気になります。生きて妹さんの結婚式に出れて良かった。